2017年11月24日金曜日

山一破綻 金融行政の転換点に システム整備、「リーマン」で生きた教訓 (1/2ページ)

 金融危機の象徴となった山一証券の破綻劇は日本経済の試練として語り継がれ、金融行政や企業統治の転換点となった。当時、危機の中心で苦闘した関係者の証言から、今に生きる教訓を探った。

 「大変なことが起こっている」。官僚としてバブル経済崩壊後の不良債権処理や金融危機の最前線にいた五味広文元金融庁長官(68)は振り返る。1997年11月3日、三洋証券が破綻し、金融機関同士で資金を融通するコール市場でじわじわと不信感が膨らんだ。多額の不良資産を抱えていた北海道拓殖銀行と山一の資金調達が行き詰まるまで時間はかからなかった。

 金融不安は一気に広がり、全国の銀行から預金が流出。政府は、日銀による特別融資(日銀特融)などで押さえ込みを図ったが、収束に失敗。翌年秋以降には日本長期信用銀行(現新生銀行)と日本債券信用銀行(現あおぞら銀行)が相次いで破綻し、危機は頂点に達した。

 一連の問題を受けて、不良債権処理のため大手行に巨額の公的資金が投入された。危機に頻した銀行の一時国有化も可能にする仕組みが整い、金融システムは安定化に向かった。「金融機関はこの教訓からリスクの高い海外の金融商品への投資を控え、2008年のリーマン・ショック時に大きな損失を免れた」(証券アナリスト)とされる。

 その後、日本はアベノミクスの下で12年末から景気拡大が続き、東京株式市場の日経平均株価は今年11月に約26年ぶりの高値を付けた。だが、米トランプ政権の行方や北朝鮮情勢など先行きの不透明感は漂う。国内外で不動産バブルを懸念する声もある。

 五味氏は学ぶべき教訓を「バブルの芽は常にある。行政と金融機関は実体のない経済活動に資産が積み上がっていないか注意し、危機を管理することだ」と説明する。

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