2月16日、政府は日銀総裁・副総裁の人事案を国会に示した。総裁については黒田東彦現総裁(任期は4月8日まで)の再任、副総裁については岩田規久男、中曽宏両副総裁(任期は3月19日まで)の後任として若田部昌澄早大教授、雨宮正佳日銀理事を充てる案が国会に提示された。
黒田総裁の再任は、市場は十分想定していた。一方、「学者枠」の副総裁に就任する若田部教授については、どのような政策論を展開するのか、今後、市場は見極めることとなるが、岩田副総裁の流れを引く継ぐリフレ派ということでは、全くのサプライズというわけではない。
日銀新体制で若田部副総裁
リフレ派の起用、続く
日銀政策委員の人事には、岩田副総裁が引き寄せた原田泰委員、原田委員が引き寄せた片岡剛士委員というリフレ脈が色濃く見られるが、今回の若田部教授もまさにこの流れに乗った人事案といえる。
こうしたリフレ脈起用人事の根底をなすと推察される1冊の書物がある。
岩田副総裁が、学習院大学教授をしていた当時、編著した『昭和恐慌の研究』(東洋経済新報社、2004年)だ。執筆陣には岩田副総裁をはじめ原田委員、若田部教授らが加わった(片岡委員は参加していない)。
同著では、1930年1月の旧平価による金解禁を発端とするデフレ不況(昭和恐慌)が、レジーム転換を伴う大規模な金融緩和によって終息した、との主張がされている。
黒田総裁就任以降、使われている「異次元緩和」という表現は、ここでいうレジーム転換と同義である。
昭和恐慌脱出の鍵は「金輸出再禁止」
金融政策に過大な期待抱く
確かに昭和恐慌に見舞われた1931年以降の日本は、当時の高橋是清大蔵大臣(現財務大臣)の下、異次元の政策を一気呵成に採用した。その主なものをまとめたのが図表1だ。
「高橋財政」と称されるこの時期の政策には、1931年12月の金輸出再禁止(金本位制に基づく固定為替相場からの離脱)、1932年6月の史上初の赤字国債の発行および日銀納付金の歳入計上、同年11月の日銀による長期国債の引き受けなど、革新的な策が含まれる。
ただし、このうち最も根本的な策は、高橋財政の嚆矢となった「金輸出再禁止」だろう。
これによって円の減価が進み、それ以降の金融・財政政策の効果を高めた。
この意味で、昭和恐慌下でとられた策のうち、真にレジーム転換と呼ぶに値する政策は「金輸出再禁止」と考えられる。
だが現在の日本の為替制度は、言うまでもなく、管理通貨制の下での変動相場制である。したがって、金本位制に基づく固定相場制からの離脱(金輸出再禁止)による昭和恐慌からの脱却という成功体験は、現代では、一定の教訓にはなり得ても、政策案にはなり得ない。
ところがこの時の成功体験から、今でも「デフレ脱却」で金融政策に過大に期待する向きがある。そのような流れをまさに反映したリフレ派起用の人事が、今回もされようとしている。
副総裁は「総裁の補佐」
現行政策への反対は難しい
そもそも副総裁とはどのようなポジションなのだろうか。
日銀法第22条第2項は、「副総裁は総裁の定めるところにより、日本銀行を代表し、総裁を補佐して日本銀行の業務を掌理し、総裁に事故があるときはその職務を代理し、総裁が欠員のときはその職務を行う」としている。
重要なことは「総裁を補佐する立場」であることが明示されていることだ。
これに対して、審議委員は、同法第23条第2項によると「審議委員は、経済又は金融に関して高い識見を有する者その他の学識経験のある者のうちから、両議院の同意を得て、内閣が任命する」とされている。副総裁のように「総裁を補佐する立場」ではない。
つまり、同じリフレ派であっても、審議委員である片岡氏らと異なって、副総裁への就任が見込まれる若田部教授は恐らく、現行政策への反対案を掲示しにくいだろう、ということだ。
付け加えるが、政策委員会という場では、総裁であろうと、副総裁(2名)であろうと、審議委員(6名)であろうと、それぞれは一人の委員として独立して政策判断をすることとなっている。
それでも、日銀法が要求する「総裁の補佐」という規定は無視できない。
金融緩和と物価上昇は
「前後関係」か「因果関係」か?
いきなりではあるが、「雨乞いの後に100%の確率で雨を降らせることはできるか」と問われたら、読者の皆様はどう答えるだろうか。
答えはもちろん「Yes」である。なぜなら雨が降るまで雨乞いをすればいいだけだからだ。ただし、この場合、雨乞いと降雨の関係は「前後関係」であって「因果関係」ではない。
この「雨乞い論」と、今のリフレ派の主張に類似性を感じ取ってしまうのは筆者だけだろうか。
つまり「CPI前年比2%が実現するまでひたすら金融を緩和する」(=雨が降るまで雨乞いをする)ことと、「金融政策によってCPI前年比2%が実現する」(=雨乞いによって雨を降らせる)こととは本質的に違う。
なぜならば、前者は「前後関係」であり、後者は「因果関係」だからだ。
今日のリフレ派は前者に近づいていないか?
もちろんリフレ派なりの理論というものが存在するため、ただの前後関係に過ぎない雨乞い論とは異なるが、それでも、なぜリフレ派の考え方が妥当なのかは、異次元緩和が始まって以降も、未だに明らかにされていない。
実務者枠ではなく学者枠として副総裁に就任する若田部教授は、リフレ派が「前後関係」ではなく「因果関係」であることを、(論文ではなく)政策の実践の場で明確に論証することが求められる。
残念ながら、岩田副総裁はそれを任期中にできなかった。
コアCPIの上昇に対して
出遅れる予想インフレ率
金融政策の運営に当たっては、実際のインフレ率以上に、将来、物価がどうなるかという予想インフレ率が重要である。
なぜならば、労使間の賃金交渉や設備投資の鍵を握る実質金利は、いずれも予想インフレ率に基づくためである。
その予想インフレ率について、日銀は直近の1月の展望レポートで「横ばい圏内で推移している」と評価した。
実際、予想インフレ率の上伸力は弱い。
家計、企業、市場の予想インフレ率を、実際のコアCPIインフレ率(生鮮食品を除く総合CPI、エネルギーは含む)と比べてみよう(図表2参照)。
コアCPIは直近の12月分が前年比+0.9%まで伸び率を高めている。ところが、予想インフレ率の上げ足はそれと比べると、ほとんど高まっていない。
日銀の展望レポートが正しく表現したように、予想インフレ率は、コアCPIインフレ率が高まってきているにもかかわらず、まさに「横ばい圏内」にある。
日銀は2016年9月の「総括的な検証」で、経済主体(家計、企業)のインフレ予想は実際のCPIを見た上で調整される「適合的」(adaptive)な予想形成になっているとの見方を示した。
ざっくりと言えば、予想インフレ率は実際のインフレ率の正の関数であるという見方である。
しかし、上述したように、足元の予想インフレ率は「適合的」とは言い難いほど、実際のコアCPIに対する反応が鈍い。
経済主体のインフレ予想が適合的ではなくなり、むしろ上方硬直性(上がりにくさ)を増しているのではないか、との懸念さえ持たれる。
これは何を意味するだろうか?
それは、今後の金融政策を考える際の材料として、コアCPIでは不十分だということだ。
コアCPIと予想インフレ率との連動性が下がる中、原油などエネルギーの影響を直接には受けないコアコアCPI(生鮮食品およびエネルギーを除く総合CPI)こそが、金融政策を展望する際の材料として、重要性を増している。
「長短金利操作」の正常化は
早くて2019年後半に
景気の拡大が今後も続く中、エネルギー価格が上昇していることも踏まえると、コアCPI(生鮮食品を除く、エネルギーは含む)は2018年後半には前年比1.0~1.2%程度で推移しているだろう(図表3上を参照)。
ただし、経済主体が予想インフレ率を高めていないことを踏まえると、春闘賃上げ率を含め、賃金の上昇ペースが明確に高まるシナリオはまだ描けない。
そのため、筆者は、コアコアCPI(生鮮食品およびエネルギーを除く)が前年比1%に到達するのは2019年後半となると見ている(図表3の下を参照)。
これまでは、CPIが安定的に前年比1%になることを前提に、2019年にYCC(長短金利操作)の正常化が始まると見ていた。大きな考え方は、今回の人事案を踏まえても変わらない。
ただし、「追加緩和」の可能性が小さくとも、新たな総裁・副総裁は、金融正常化への足取りを慎重に運ぶと見込まれる陣容にはなっている。
したがって、正常化開始の時期を、従来の「2019年」という表現から、「早くて2019年後半」に若干修正する。
すなわち「YCCの正常化は、CPIが安定的に前年比1%になることを前提として、早くて2019年後半に始まる」というのが、筆者の新たな金融政策に対する見方だ。
具体的には「10年国債金利ターゲットを1回当たり10bpずつ引き上げる」というシナリオを予想する。
(クレディ・アグリコル証券チーフエコノミスト 森田京平)
※本記事はダイヤモンド・オンラインからの転載です。転載元はこちら
Read Again http://ascii.jp/elem/000/001/635/1635648/
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