2018年4月26日木曜日

任天堂、「脱カリスマ」へ集団経営 社長に古川氏

 任天堂は26日、6月28日付で古川俊太郎取締役(46)が社長に昇格する人事を発表した。君島達己社長(68)は相談役に退く。経理畑が長い古川氏をトップに据え、管理と開発で役割を分担する集団経営に移行する。創業家の山内溥氏の引退以降、16年にわたって模索してきた「脱カリスマ」の体制を固め、浮き沈みの激しいゲーム産業の荒波に乗り出す。

 「君島が築いた集団指導体制の形を引き継いでいく」。古川氏は記者会見でこう強調した。古川氏は経営企画室長として管理業務全般に精通し、国際経験も豊富だ。専務取締役となる開発トップの高橋伸也氏、取締役となるゲーム機開発トップの塩田興氏とのチームで経営を担う。

 好業績下でのバトンタッチとなる。26日に発表した2018年3月期の連結決算は売上高が前の期の2.2倍の1兆556億円、純利益が36%増の1395億円。けん引役の主力ゲーム機「ニンテンドースイッチ」は19年3月期も前期比33%増の2000万台の販売を見込み、純利益は前期比18%増の1650億円となる見通しだ。

 「マリオ」の生みの親で、長年ソフト開発の責任者を務めてきた宮本茂代表取締役(65)が若返った経営陣をサポートする。

 トップ交代のきっかけは15年にさかのぼる。天才プログラマーとして知られ、42歳の若さで山内氏から社長を引き継いだもう一人のカリスマ、岩田聡前社長が急逝。「開発から経営まで権限を握っていた岩田を失った衝撃は大きかった」。幹部OBは振り返る。

 「1年で辞めてもいい」。銀行出身で、急きょ社長に就任した君島氏は当初、周囲にこう漏らしていた。ただトップ一人に依存しない体制作りが不可欠だと感じ、16年に執行役員制度を導入するなど世代交代の時期を模索してきた。購買層の中心である若者に近い経営者が好ましいとの思いがあった。

 昨年3月に発売した「スイッチ」は岩田氏が開発着手を指示した遺産だ。社長を継いだ君島氏が先代機「Wii U」からの切り替え時期、生産や販売の戦略を決め、ヒットにつなげた。

 有力ソフトの「ゼルダの伝説」は開発者が満足いくものを作れていないとの判断から、君島氏が開発延長を指示。より作り込まれた大作をスイッチの発売のタイミングと合わせたことが順調な滑り出しに結びついた。

 任天堂はあえて中長期の経営計画を定めていない。ある幹部は「収益目標ありきでは費用のコントロールに先に頭が回り良い開発ができない」と話す。だからこそ開発の手綱を引く管理部門の存在が重要になる。古川氏が社長に選ばれたのもこのためだ。

 任天堂は1983年の「ファミリーコンピュータ」の発売以降、急激な成長で世界的大企業に成長した。米アップルやマイクロソフトと成長時期を一にする数少ない日系ソフトウエア会社だ。

 ただ近年ではスマートフォン(スマホ)向けゲームの市場が急拡大し、仮想現実(VR)など新技術も生まれている。任天堂が家庭の娯楽の中心であり続ける保証はない。黎明(れいめい)期を支えてきた開発者OBは「最近の若い人たち全く新しいものを生み出すのが苦手」と手厳しい。

 「あくまで独創的で面白いモノを作りたいマインドが最初」と古川氏は言う。「スイッチ」など遺産が残る間に次のヒットを生み出せるか。若い経営陣が直面する課題は大きい。(上田志晃)

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