みずほフィナンシャルグループ(FG)は新社長に証券子会社トップを起用する異例の人事を決め、脱「銀行依存」の決意を明らかにした。発足した2000年から幾度も不祥事に見舞われ、収益拡大のチャンスを逃してきた。マイナス金利の逆風下では銀行業務の収益では巻き返しは難しいと判断、体制を抜本的に見直す。
「単純に長い。負のレガシー払拭に一定のメドがついた」。15日、東京・中央の日銀本店で記者会見した佐藤康博社長はこの時期での退任発表についてこう説明した。佐藤氏がFG社長に就任したのは11年。子会社のみずほコーポレート銀行(CB)頭取時代を含めれば、佐藤時代は9年に及ぶ。
これほど長期になったのは、みずほが激しく揺らいだからにほかならない。11年にFG社長に昇格したのは、東日本大震災後の大規模なシステム障害が起きたのがきっかけだった。みずほCBとみずほ銀行の2つの銀行を合併させる任務を13年7月になし遂げたあと、退任してもよかった。
だが同じ年の秋には反社会的勢力との取引で金融庁から業務改善命令を受けた後、経営陣が取引を認識していたことが発覚。隠蔽体質を指弾され企業統治の抜本的な見直しが急務になるなか、佐藤社長が陣頭指揮に立つことになった。
15日の会見で佐藤社長が成果として強調したのは、一言で言えば「ワンみずほ」の徹底だった。かつて日本興業、富士、第一勧業という有力3行が合併し、激しい勢力争いを繰り返したことと不祥事が無縁ではないと判断し、守りを固めた。
「(トップが1ではなく)3トップだったことが最大の問題だった」(佐藤社長)。社外取締役だけで新社長を決めたのは今回が初めて。やっと普通の会社になれたともいえる。
「証券会社の社長がグループトップになることに非常に大きな意味がある。証券を1つの基軸に据えて発展していく」。佐藤社長は次の社長を坂井辰史氏とする理由をこう解説した。
とはいえ、大田弘子議長ら6人の社外取締役は改革に限界も感じていた。ある関係者は「旧都銀時代、トップを競っていた3行が一緒になったのになぜメガ銀の中で3位なのか」と憤る。確かに17年4~9月期の純利益を比べると、三菱UFJFGの6269億円、三井住友FGの4201億円に対し、みずほFGは3166億円。佐藤社長自身「稼ぐ力が不十分だった」と認めた。
日銀の量的緩和で総資産だけ見れば、みずほは三井住友を上回る209兆円の巨大グループだ。しかし、事業の中核は預金などで集めたお金を貸し出す業務。米モルガン・スタンレーと提携する三菱UFJ、旧四大証券の一つだった日興証券を買収した三井住友と比べ、証券会社が弱い。
坂井社長は佐藤社長と同じ、旧日本興業銀行出身だ。かつて興銀は興銀証券で野村証券に立ち向かい、投資銀行宣言で世界に出て行った。困ったときの証券頼みはこれで3度目。みずほがトップランナーに生まれ変わるには、この挑戦をなし遂げることが必須だ。
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